父は九州の主要都市のレコード店の仕事もすることがありました。

やはり、昔から水害などがあり、いろいろ出かけることがありました。

覚えているのは長崎だったと思いますが、

豪雨があった時に、数日後には、出かけて行ったことを思い出します。

 

阪神淡路大震災の時は、

たぶん、全国から広範囲の建築の方々が出かけて、

調査などが行われ、仕事をしたことはない場所でしたが、

やはり、父も出かけていきました。

現地入りするまで、何時間も歩き続けたようなことを聞きました。

液状化などの話もあとで聞きました。

どの震災、災害も、同じものはなく、

それぞれの土地の難しさがあるのだと思います。

現地で作業をして、宿泊する施設で、食事がでたようですが、

阪神淡路大震災の時は、被災された方は外で毎日炊き出しを行っていましたので、

申し訳ないというようなことを言っていました。

しかし、食事が大切なのだと思います。

そういうことも思いました。

東日本大震災の時は、あの時は関東方面なども震災があり、

出かけて調査していました。

能登半島地震から一年です。地形的な難しさがあるのかもしれませんが、

これから震災後は、

大変難しいことですが、

作業する方々、ボランティアの方々が安全に作業するための、

宿泊設備、食事を確保して、長期間の作業ができるようにするシステムが必要かもしれません。

 

被災された皆様の気持ちは人々の思い出と共にあると思います。

私たちもその気持ちに、できるだけよりそい、

何ができるかを考えることが大事だと思います。

 

ヨーロッパなどの都市の中で震災が少ない場所では、

古い建物は保存され、また比較的、

建築の材質もデザインから発案しやすいのかもしれません。

震災が多い場所での建築物については今後強度について、

研究がさらに進められることでしょう。

これから空間デザイン、建築の勉強をされる方も多いと思います。

また、工学部の方々も、

こういう震災についてもさらに学び、

今後の光となってくれたら、と思います。

 

改めて、全国の建築の世界の方々に感謝申し上げます。